風景in 春日井 §14 ?最終章?

春日井王子町郵便局は春日井市王子町にある。町内の殆どを王子製紙の敷地で占められ、住民は千人程度である。JRの春日井駅のすぐ南側にあり、駅の裏側だからうらぶれた雰囲気かと言えばそうでもなく、住宅地が広がる市街地となっている。

王子製紙の敷地は、旧陸軍鳥居松工廠の跡地である。市の活動が実り同社の誘致に至ったようだ。月産65,000トンは、同社としては苫小牧工場に次ぎ第二位である。878,000平米の敷地は市の面積の1%を占め、約千人の従業員が働いている。自家発電は128,000kwで、自家発電率は六割に達している。庄内川より1日辺り、193,000トンを取水している。

ネピアブランドを製造している同社工場は、1953年に王子製紙春日井工場として操業を開始。1971年に王子ティッシュ販売会社を設立。1987年に株式会社ネピアとなる。1999年に春日井工場から名古屋工場に改称される。2003年にホクシー株式会社と合併し、王子ネピアとなった。工廠時代が発祥の貨物専用線も、春日井駅から敷かれている。貨物輸送の近代化により大半はコンテナ化されている。1日に一往復が設定されている。到着貨物は返空(多分返却空荷という意だと思われる)で、紙製品が発送貨物である。一日平均322トン、年間96,325トンの発送がある。同社全体では、鉄道輸送の占める割合は約15%である。モーダルシフトを進めているので、鉄道利用も増加が見込まれる。特に名古屋工場(名古屋には無いけどね)は内陸部に位置しているので、鉄道貨物の需要は高まることだろう。因みに貨物列車の行き先は首都圏にある新座貨物ターミナルである。

春日井王子町郵便局の風景印には、工場敷地内にあるバラ園のバラの花が配されている。

バラ園は当時の西田工場長が、従業員や住民の一服の清涼剤となればとの思いにより、5種25株を植えて1995年に開園したのが始まりである。現在は当時の面積の二倍にあたる4,900平米となり、220種1.900本ほどの規模となった。シーズンにより様々なバラの花が見られる。最盛期は5月で、6月や10〜11月にも開花時期にあたるようだ。

大工場を回り込むような形で南下し、そして東向きに。約二キロ走り、春日井中切郵便局に14時10分に到着した。本日最後の郵便局である。15時に車を返さなくてはならないので、何とか予定を達成出来たことを嬉しく思った。

住宅街にある春日井中切郵便局の風景印には、春日井市道風記念館が描かれている。因みに中切という地名の由来だが、庄内川が曲がっている箇所で堤防が良く切れたからだとか、条里制による田畑の中の切れ目とかの説があり、これといった確証は無いようだ。ただよく切れた堤防の所に、第二の堤防が作られた跡が一部に残っているのは事実である。そんな庄内川に近い松河戸地区で小野道風が生まれた。 その松河戸地区に記念館は所在している。

小野道風は古くから春日井市にある松河戸町に誕生の伝説が伝わっている。小野朝臣遺跡碑のある松河戸町に、彼の偉業を讃えて昭和56年に建てられた。全国的にみても珍しい書専門の美術館である。

「彼の父親である小野葛絃が松河戸に滞在した際、里人の娘との間に生まれたのが道風とのこと。10歳の時に父と共に京へ行き、書で身を立てた」という内容が住民の間に伝わっている。史実として道風が春日井の地生まれたという確たるものは残念ながら無い。だが資料としてそれに関する最も古いのは、南北朝時代の「麒麟抄」どある。そこに道風者尾張國上條ニシテ生マレ給ヘリとある。尾張藩国学者天野信景も「松河戸の村民は、道風の生まれた地だと言っている」と記している。

1944年に開催された、小野道風生誕1050年祭では、全国から書家・詩人・歌人が多数参加し、道風を讃える書や詩歌を奉納した。1949年に全国公募の道風展が開かれ、以降毎年開催されている。それらの作品が数多くなり、保存・観賞の目的にて建設されたのが「道風記念館」なのである。約2,600点を収蔵しており、それらを展示したり、書関係の図書館もある。春日井中切郵便局の風景印には、記念館の外観が配されている。

14時45分というギリギリにレンタカーを無事返却。雨が降っているが、駅までは二キロ程度であり、本数が余りないバスを待つのもムダなので歩いて行った。鳥居松の旧道を経由するなど、道中も楽しんだ。しかし駅に近づくほど閑散としていくのは何か切ないものがある。春日井市として、春日井駅というものに重要性を感じていない証のような気がしないでもない。そもそもが路線開業時に駅を設けなかったほどだから、生い立ち的に仕方の無いことなのだろうか。そういった意味では、隣の勝川の方が市内の鉄道では、代表駅的な存在みたいな気がしないではない。宿を予約せずに出張等理由で、夜に春日井駅に降りった時は絶望感を味わうんじゃ無かろうかと真剣に思う、そんな駅界隈である。

ラッシュ時には中京地区最大の十両運転される中央線だが、乗車した名古屋行き普通は四両だった。途中駅で学生等が多数乗り込んで来たのでパンパンとなった。千種や金山で大量に下車があったから、余裕の乗車率で終点名古屋に到着した。時間的なこともあったから、一旦名古屋で改札外へ。それがあったから、きっぷも名古屋までしか購入していない。

駅の外には金券ショップが多数あることは、経験上把握している。名古屋駅の改札外に出たことは、十回や二十回どころではない。駅に近い金券ショップに行き、新幹線回数券を購入。無視出来ない程度には割安なので、それを利用しない手はない。関西や名古屋では多数ある金券ショップは、全国的にみればメジャーな存在ではない。小田原から新宿まで小田急経由で行った時、あるかどうか分からなかったが、駅前に金券ショップがあり、小田急のきっぷが割安価格で販売されているのを発見した時は、かなり嬉しかった記憶がある。

名古屋の新幹線のコンコースにて、嵩張らない手土産を物色していたら「きしめんパイ」なるものが手頃な価格であるのを発見。「まあいっかあ」と購入。ホームでは名古屋駅名物住よしのきしめんを食べた。いつも立ち食い店は賑わっている。店舗が狭いからいつも居心地は良くはない。階下のコンコースに広い店舗を設ければいいのにと思う。しかし正に名古屋駅名物だと思う。私的には名古屋市民は、それほどきしめんなんか食べていないんじゃないかと思っている。駅の立ち食い店でも、地元の学生が食べているのを見かけたことがない。若年層が馴染んでいない文化が継承されることはない。地元の三十代前後のサラリーマンは食べているのを見受けるから、日常に於けるきしめん文化は、その辺りの世代で途切れているような気がしないでもない。本当に名古屋市民が総体的にきしめん好きならば、街中にはきしめんを謳う看板がもっとあっても良いはずだが、殆ど見受けない。

しかし名古屋駅の住よしの立ち食いきしめん店は、今日もよそ者達で賑わっている。多分名古屋市で一番きしめん販売がある店舗(会社)だろう。市中の店舗であれだけ売上があれば、直ぐにビルが建つだろう。具体的には分からないし感覚的な話だが、市内で実食できるきしめん販売の半数以上は名古屋駅が占めている ような気がする。誰かに統計を取って貰いたいものである。

名古屋から京都間は、のぞみで約35分だ。夕方の東京からの下り列車では、名古屋で大量下車がある。並ぶ位置にもよろうが、席のこだわりが無ければ、名古屋からならどこかには座れるだろう。たった35分なので、私は大概ドア際に立っている。真っ暗でないなら大型の窓から景色を存分に楽しめる。隣席の他人に気兼ねして、修行僧の様にじっとして過ごすのは時間も無駄だし、精神的にも苦痛でしかない。

車窓を眺めていたら、あっという間に京都に到着。慌ただしい消印収集の旅の終焉である。

因みにきしめんパイは、棒状になった単なるパイでした。きしめんの麺に見立ててあるのでしょうか。ネーミングの勝利みたいなものですな。

〜おわり〜